Top Entrance
 
Original Novels
PHI-Blazer / Top
プロローグ
φ1.換着
φ2.キミの騎士
 
DOJIN Works
AicE
 
History ReNew
Event Info
Book Reissue
Intro Books
Mail Box
Kaleidoscope Link Terminal
(リンクサーチ)
 
 
Kiyama's Room
(fan fiction)
 Kaleidoscope

  調 
   ファイブレザー
φ(PHI)-Blazer / Five Leather

< プロローグ | φ1 換着 ( Aパート / Bパート ) | φ2 キミの騎士 >

φ1 換着 〜Change Clothes〜

A パート
 終業のチャイムが響き、壇上の女教師が黒板の上に据えられた時計を見上げる。
 腰まであるロングヘアーを揺らし、残念そうに教壇上の資料をまとめて。
「はい、それじゃ今日の授業はここまで」
 そう言うと同時に、一時の間だけ学問から開放された者が浮かべる安堵のざわめきが教室内を支配する。
 高校の制服であるブレザーに身を包んだ生徒たち。
 彼らの織り成す、ともすれば押されそうになる『力あるざわめき』を中断するため、女教師はパンパンと両手を叩き自らに注目の視線を集める。
 その行動は彼女の狙い通り、一定の効果をもたらした。
 教室のほとんどの視線が彼女の方を向く。ただし一部を除いて、だが。
 もっとも、それで十分だ。このクラスの人数は三十二人。
 その全ての意識を自らに向ける事など容易な事ではないし、また、そのつもりも無い。
 分別のつかない低年齢の子どもならともかくとして、このクラスにいる者たちは、もう世の中の基本的な所は大体解っている―――と、彼女は考えている。
 ならば自らの行動に際して、自らに責任を負う事は当然の事。
 今、この時、この刹那の行動。それ故に彼ら自身に不利益を被る事になろうとも、それは誰でもない彼ら自身の責任。
 だから彼女は思う。もしここで自分が彼らを無視してコトを進めても、自分の責任ではない、知ったことではない、と。
 そしてこれによって起こる被害がもし自分に向けられたとしても、自分にはそれを処理するだけの力があると。
 人によっては自分のことを冷たいという者もいるだろう。
 しかしこれは必要な冷たさだ。例え彼らにその力が無くとも、ある事を前提に話を進める。
 それによって引き起こされる「何か」が、人が自由の中を泳ぎきる中で必要になるであろう「責任の力」を養うであろう事を信じて。
 彼女はふっと笑い、コンコンと黒板を指で叩きながら。
「それじゃあ、今日の当番は黒板を消しておくこと。それと―――」
 ここで言葉を切る。そしてクラスの皆を試すように、じっと全員を見渡して。
 教壇の上で別にしてあった紙の束に手をかけ、しっかりと言い放つ。
「先日の実力テストの判定が出ました。一人ずつ呼びますから、取りにいらっしゃい」
 この言葉に、ある者は固まり、ある者は悲鳴を上げてのけぞり、ある者は冷淡に帰り支度を始める。
 彼女の受け持つこのクラス―――財団法人穂村教育学会立・普合学園高等学校普通科2年D組―――のいつもの光景だ。
 構わずに紙の束にかかれている名前を読み上げる。
「赤坂(あかさか)くん……伏吹(うつぶき)さん……」
 前に出てくる名前を呼ばれた生徒。自分の元にやって来て、差し出された試験結果のプリントされた成績表を受け取る。
 次々に名前を呼んでいく彼女。
「大田(おおた)さん……上浦(かみうら)くん……光咲(こうさき)さん……」
 上浦。そう呼ばれた男子生徒が彼女の元へとやってくる。
 大人しそうな容貌。ぱっちりとしたどんぐりまなこ。多少短めにカットされた、あまり手入れされていない黒髪。
 どこにでもいそうな、さえない小柄な少年。その一言で片付けられてしまう雰囲気をもっている。
 胸に秘めた情熱に気付くことは無く、未だそれを発露する術を持つ機会に恵まれていない。そんな風貌を体中で現していた。
 傍目から見れば「やる気が失せている」状態にも見える。
 彼女はそんな上浦に少しだけ難しい顔をして、彼に向かい誰にも聞こえない程度の小声でこう言った。
「上浦和良(かみうらかずよし)くん。もーちょっと頑張りましょうよ。科学部が物理赤ギリギリってどーゆーコト?」
 その担任女教師の説教に、和良はやってらんない、とでも言うように肩を竦めて。
「実験は好きだけど、公式とか覚えるの面倒くさくって」
「あんたねぇ……!」
 苦虫を噛み潰したような表情でうめく担任。その表情はまるで般若に近いものがある。
 和良は慌てて自己フォローをするために早口でのたまった。
「あ、いや! そりゃ岩代先生は科学部顧問ですもんね。いらだつ、ですね。気持ちも……その、あの……」
 だがフォローの言葉が見つからない。だんだんとしどろもどろになり、拾う言葉も見つからず―――。
「あ……その、す、すいません、ごめんなさい。次はきちんと憶えて試験に臨みます!」
 結局、ぺこぺこと何度も頭を下げて必死に謝る。
 和良の所属する科学部の顧問であり、クラス担任でもある岩城真奈美(いわしろまなみ)は、大きくため息をついて。
「そうしてちょうだい。こんな状態が続くようなら、あたしにも考えがありますよ?」
 穏やかだがドスの効いた口調。思わず表情を引きつらせる和良。
 真奈美の差し出した成績表を受け取ると「やっちゃったよ」と後悔の表情を浮かべ、自席に戻るために回れ右をする。
 後ろには次に成績表を受け取る女子がいた。期せずして和良は彼女の顔を見てしまう。
(あ……)
 一瞬だけ、見とれた。正直かわいいと思った。
 濡れるような緑なす黒髪。活発な印象を与えるショートカット。背は和良と同じくらい。
 パッチリと開いた大きな瞳は、誰が見ても愛らしい印象を与えるだろう。
 だがその瞳が映す光の奥底に存在しているのは、どこか寒々しい雰囲気だ……と、考えてしまうのは気のせいだろうか?
 和良は彼女の瞳の奥の光を感じ、遠い記憶を思い起こしながら、なんとはなしに気の毒な気分になる。
(かわいい、のに……)
 ちょっとだけ残念な思いにかられる。
 その瞬間だけ、和良の中にあった「何か」がもたげたような気がした。
 彼女は和良と目が合った瞬間、その口の端に少しだけ笑みを浮かべる。
「………!」
 何も言うことなく、向こうもまた無言。
 それでも和良は彼女に笑われた、と思った。
 先生との会話を聞かれていたからだと。
(……カッコ悪)
 沈んだ気持ちで自席へと戻る和良。もたげた「何か」は自分がそれを意識しないうちに心の奥底へと沈んでいく。無意識に出る大きな溜息。
 その背中から投げかけられる言葉。
「カズ、カズ。どーだった?」
『カズ』はもちろん和良のあだ名。声をかけてきたのは、和良の後ろの席にいる友人。
 和良とは反対の理想的な長身でスタイルもいい。顔もそれなりに整っており、女子からの人気も上々で成績も悪くない程度の頭の良さ。
 髪型は少し長い髪をうなじで留めたしっぽ髪。そんな友人に和良は沈んだ顔で答えた。
「サイアクだった。いつも通りだよ。お前のようには行かないさ、すーと」
『すーと』はもちろんあだ名。本名は真庭涼人(まにわすずと)という。
和良の答えに涼人は笑みを浮かべながら。
「ま、気にするな。次があるさ」
 気楽に友の肩を叩く。しかし和良はなおも沈んだ声で。
「気にするな……って無理だよ。笑われたし」
 言いながら教壇の方を見つめる。そこでは和良の後ろにいた少女が真奈美から成績表を受け取っている最中だった。
 すると涼人は苦笑いしながら。
「あー、光咲舞か。そりゃ、しゃーない。彼女にはお前を笑う資格がある」
「彼女が我がクラス成績トップの天才だから……かい?」
 重く情けなーい表情で恨めしそうに涼人を見ながらも、すかさず返事を返す和良。
「そーそー。それなりに可愛くて、成績は学年主席。男子が裏でやってるミスコンにもノミネートされてるだろ? 性格は……まぁ友達づきあい少ないらしいからよく解らんが、男子連中の間では『気立てが良くて優しいんじゃないか』ってもっぱらの評判だよな。推測だけど」
「……なかなか穿った推測だと思うよ。昔は、ね。子どもの頃は結構な人気者だったと思うよ」
 静かに呟く和良。うんうんと涼人は頷きながら。
「そういえば、お前は彼女と同じ小中学校だったっけ。幼馴染みってヤツ? うらやましいねぇ」
「そんなんじゃないよ。同じ学校だったからって親しくしてたワケじゃないし、小学校に入って学力に差がつき出すと、自然とみんな彼女から遠ざかっていったし……人間って分ってヤツがあるよね」
 和良の言葉に涼人はハッと笑って。
「そりゃそうだ。お前と彼女じゃ、スペック違いすぎるよ」
 この言葉に和良。左手で嘆くように額を抑えて。
「あったり前のコトをトーゼンのように言われると、それはそれで気分が滅入るんだけど」
「しかし悲しい現実さっ」
 軽い涼人の言葉。気楽に言ってくれる……と言わんばかりに、和良は大きな溜息を一つだけついた。
「バカな夢を見る前に、今日の部活と、これからの勉強のことを考える方が懸命だよね、やっぱ」
 和良が言葉を放つと同時に、前の教壇から『真庭くん』と涼人を呼ぶ真奈美先生の声が聞こえてくる。
 涼人は立ち上がってニッと笑いながら。
「そうだな。恋愛ってのはタダのバカな夢かもな」
 言って、元気付けるように教壇に歩を進めながら和良の肩をぽんと叩く。
「なっ……!」
 赤くなる和良。思わず。
「それこそバカなコトを言うな!」
 大声を出して、ガタン! と椅子を蹴立てて立ち上がる。
 クラス中の視線が和良へと向いた。
「あ……」
 我に返る和良。一方で「あーあ」と小さく呆れたように呟く涼人。
 真奈美の視線が和良へと突き刺さる。
「上浦くん?」
 担任から投げかけられる冷ややかな言葉。和良の動きが止まる。
「いくら成績が無残だったからって、あなたに他の人を邪魔する権利は無いのよ?」
 そんな事は言われなくても解っている。が、それを言っても説得力というものが無い。
 でも和良は自分の非を認めたくなくて押し黙る。
 だいたい、個人の成績をネタにしてクラスの面々の前で堂々とのたまうのも、いかがなものか?
 言うことも出来ただろうが―――目の前の人物に向かってそれを言うのもムダだろう。そういう人間だ、この担任は。
 かの人物はゆっくりと首を横に振ると小さな溜息とともに。
「ったく。そういったことをされると、こっちもペナルティ考えなきゃならないのよね……」
 言うとしばらく考えるふりをして―――どうせ彼女の課す罰は一つしか無い―――厳かにそれを告げる。
 ワンパターンとはいえ、いや、だからこそか。やっぱり嫌なものだ。
 担任の告げるペナルティの内容を聞いてげんなりとする和良。ゆっくりと自分の席に座る。
 和良の様子を見て満足げに頷き、成績表の配布を再開する真奈美。前に出て受け取る涼人。
 成績表を涼人に渡す。回れ右をして涼人は自席に戻ろうとする。
 真奈美はふと、思い出したように声をかけた。
「あぁ真庭くん」
「はい?」
 振り向く涼人。真奈美はたいしたことでもないとでも言うような口調であっさりと言葉を続けた。
「あなたも上浦くんのペナルティに付き合いなさいね」
 言われた瞬間、涼人の体が時間でも奪われたかのごとくに停止する。
「ど……っ」
 どうして、と抗議の声を上げようとするが、その機先を制する形で真奈美。
「おしゃべりって、一人じゃ出来ないのよね」
「だ……っ」
 だからって。言おうとするが、やっぱり真奈美に邪魔される。
「あたしの目が節穴だと思う?」
 思いっきり思う。それは涼人も和良も常々思っている事だ。
 と、言うよりもクラス全員の総意であり、学園高等部生徒の中での定着した常識だ。
 それを知ってか知らずか真奈美は。
「クラスメートで隣席の親友でしょ? つきあってあげなさいな」
 有無を言わさぬ口調でにっこりと笑った。
 背後に悪魔の影でも帯びていそうな、コワい笑みだった。
 いつにない担任の底知れぬ迫力にクラス全員がゴーゴンに睨まれたかのよう。
「それじゃ、配布を続けます。取りに来るように」
 言う真奈美だったが、その後のクラスの動きはなぜかいつもより数割程度動きが鈍かったという。
 
「サイアクだ……」
 ぽつり呟く涼人。返ってくるのはきゅっきゅ、というモップの音。
「全くもって、最悪だと思わないか? 今日は部活は無いんだぞ?」
 半ばオーバーに嘆いてみせる。
「俺たち科学部の活動は月・水・木! 今日は火曜日! なのにどうして……」
 涼人はここで力をこめ、両手をばっと広げて部屋中を示し、思いのままに叫ぶ。
「どうして俺たちが、この物理実験室の掃除をしなくちゃならないんだ!」
「トーゼンの帰結を今更の如く嘆くな!」
 和良は即座に涼人へと突っ込む。じゃばっとモップをバケツに突っ込みながら。
 先ほど教室で騒いだことへのペナルティーがこれである。
 物理実験室。この特殊教室は物理教師にして二人の担任、科学部の顧問でもある岩代真奈美の管理下にある教室だ。
 私立学校の普合学園では普段、全ての教室において週一ペースで業者が入って清掃を行っている。
 だが真奈美はそれを良しとせず、時折、自らの担任するクラスや科学部から2〜3名ほど動員してこの部屋を掃除をさせている。
 大抵はランダムでその役を割り当てられる(とはいえこの部屋を利用する割合が多い科学部員が割り当てに入る回数が多いのは当然の帰結となる)のだが、今回のように何らかの行動に対する軽いペナルティーとして、押し付けられる場合もある。
 既に上に椅子が上げられた固定机の間を縫うように床掃除を続ける二人。
 ある程度の掃除は既に終わり、現在時刻午後5時。
 五分後には床掃除を終え、二人して絞り機つきのキャスター付バケツにモップをぶち込む。
 和良はバケツの取っ手を握って。
「それじゃ、すーと。俺、外に水を流しに行ってくるから」
 言うとそのままバケツを押しながら実験室の外に出る。
 実験室内にも流し台はあるが、腰より高い位置にあるため、バケツ用の蛇口と排水溝がある外の流し台の方が使い勝手が良いためだ。
「おぅ、こっちは椅子下ろして帰る準備して待ってるから、早く行ってきな」
 和良の背中に届く涼人の声。
「了解」
 軽く返事する和良。
 実験室出入り口のすぐ横にバケツ用蛇口のついた流し台がある。
 そこで水を流しモップを荒い、さらに横にある掃除用具ロッカーに全てを多少雑に押し込んで、和良は実験室に戻る。
「お待た……あれ?」
 首を傾げる和良。机の上にあった椅子は、全て床に下ろされている。
 だが、肝心の涼人はどこにもいない。
 すこし周囲を見回すが、やっぱりいない。
「先に帰ったか?」
 実験室の出入り口は、和良が出入りした黒板横の前側と実験器具が置かれている準備室に続く後側の二つがある。
 後側の出入り口はそのまま非常用脱出ルートを兼ねた外階段に続いているため、和良に気付かれぬまま帰ることは可能だ。
 に、しても……。
「待ってるって言ったくせになぁ」
 呆れながら呟く。気にはしていない。
 涼人には、こういう自分で言っておきながら、マイペース行動でさっさと前言撤回を実行する事があるのだ。
 苦笑しながら、窓側の机に置いてある自分の学生カバンを持つ。
 余談だが学園指定のこのカバン。ハンド・ショルダー・リュックとなるスリーウェイ。自分の使い勝手に合わせて、持ち方を変えられるのだ。
 涼人も和良もリュック式の持ち方にして、背中に背負えるようにしてある。
 和良は持ったカバンを背負う。が、刹那コトンと下に何かが落ちる音を聞き、足に何かが当たる感覚を覚えた。
 不審に思い「ん?」と足元を見る和良。
 そこには多少ゴツいサバイバルな意匠を持つ腕時計が落ちていた。
「うっそ、ホムラのファイグリッドじゃん」
 思わず口に出す和良。
 HOMURA / φ-GRID(ホムラ・ファイグリッド)。それは流行りモノに疎い彼でもすぐに企業名と商品名を口に出せる、少し前に流行したデジタル腕時計だ。
 大気圏突入しても正常作動するという、意味があるのかないのかよく解らないほどの頑丈さが売りで、スポーツマンやアウトドア愛好者がよく利用する。
 ちなみにこの腕時計シリーズを出している「穂村精機電算工業」はこの普合学園を運営している財団の関連企業で、腕時計の他に携帯電話・パソコンなどの情報機器の大手企業として知られている。
 和良が手にしているのは、ファイグリッドシリーズの中でも多機能を誇っている最上位機種だ。
 デジタル表示と同時に時計針によるアナログ表示もされている。
「わ、高いよ、コレ」
 言いながら―――和良は少し周囲を見回す。
 誰もいないことを確認してから、ちょっと腕にはめてみる。実は少しあこがれていたのだ。
 腕に時計の重みを感じ、ちょっとだけ満足する。
 が、すぐに空しくなって腕から外した。所詮は他人のものだ。
(でも……誰が忘れてったか知らないけど……)
 このまま持っていってもばれないんじゃないか―――。
 そんなよからぬ考えが、少しだけ和良の頭をよぎる。
 だが、すぐさま首を振った。
「駄目駄目、すぐバレるって。届けなきゃ。先生、いるかな?」
 即座にこういう思考になれる所が彼の良いところかもしれない。
 和良は時計を握り締めると、準備室への扉を開ける。
 実験器具が数多く収められた棚に囲まれた狭い部屋の中央に引き出し付きの大きな机がぽつんと一つ。
 和良は準備室の中を見回して担任・岩代真奈美の姿を探す。が、いない。
 中央の机には紙と鍵。鍵にはこの部屋の鍵である事を示すプラスチックプレートのキーホルダーがつけられている。
 そして紙にはこんな言葉が書かれていた。
『実験室と準備室の戸締りをしっかりして、職員室まで鍵を返却に来ること 岩代』
 和良はロコツに嫌な顔をする。
「時間かかるなぁ……職員室、第一校舎じゃんか」
 しかし、行かないわけにもいかない。
「しょうがないか」
 言いながら溜息をついて鍵を握り、和良は準備室から外階段に続く廊下に出て、しっかり錠をする。
 別の校舎にある職員室に向かうため、外階段に向かう和良の足音が準備室から遠ざかっていく。
 そして、誰もいなくなったハズの準備室。
 ところが隅にある、黒い布がかけられた何かが、もそもそと動き出す。
 ばさぁっと『何か』は自ら黒布を取り去り、蹲っていた姿勢から立ち上がる。
 腰まであるロングの髪が、窓から差し込む夕日を照り返して輝いた。
 『何か』―――それは、何故かその場に隠れていた真奈美だった。
 真奈美は鍵がかかった準備室の扉を見つめる。
 正確にはその扉の向こうにいる、職員室に向かっているはずの和良の背中を。
「珍しいわね」
 小さく呟く真奈美。
「まさか『あれ』を手にして無事な人間が、こんなに早く……」
 言いながら、床に落ちている黒布を畳んでいく。
「『あれ』を―――あの『φ-GRID』を手にすれば、普通の人間なら」
 真奈美の言葉とともに引き上げられていく黒布。やがて布は床から離れ、それが覆っていた全てが顕わになる。
 黒布が隠していたのは、真奈美の姿だけではなかった。
 もう一人。黒布の中にいたのだ。
 それは。
 真奈美は床に倒れたままの彼の姿を見て、溜息交じりに言う。
「こうなるはずなのにね」
 それは、雷に打たれたかのごとく黒焦げ姿でぴくぴくしている、涼人だった。
 命に別状は無いが、それでも結構なダメージを受けていることは間違いない。
 真奈美の言葉を真に受けるならば、涼人もまた和良と同じように例の時計を手にして、こうなったという事になる。
 黒布を畳みきって、机の上に置く真奈美。静かに呟く。
「やっと……やっと、見つけたわ。適合者を」

B パート
 普合学園高校では個人成績のレベルに合わせて、数種類の補習授業がある。
 中には強制参加となる補習もあるが、それらはだいたい定期考査前後に行われる成績不振者向けのものや進学オリエンテーリングを兼ねたイベント的なもので、日常的には行われていない。
 普合学園で日常的に行われる補習は学生の自主性を重んじた自由参加。
 内容は言うなれば学習塾でやるような基礎復習と発展学習で、しかも下手な大手の塾に行くよりも内容が優れている。
 となれば、わざわざ塾に行き直すよりも学校で補習を受けておいたほうがまだマシ、というのが普合学園に通う学生のほぼ共通している見解だ。
 それは全国模試でトップクラスの実力を持つ優秀な女生徒でも、なんら変わりはしない。
 光咲舞も同様の高成績者向け特別補習を受けている。
 そして今、ちょうど彼女は補習を終えて校舎から外に出ていた。
 夕刻。昼の光と夜の闇がゆっくりと入り混じり、刹那の朱を彩る時間。
 舞は校舎の間を縫うように光を差し込む夕日に顔を向ける。
「また、夜が来る……」
 ポツリと呟く。それは恐れているような、それでいてホッとしたような。
 そんな相反する感情が入り混じった難しい表情で発された言葉だった。
 自分が無意識に発した言葉と、それに伴う複雑な感情。
 舞はそれに気付き、気を取り直すために頭を一回だけ横に振る。
(もっと普通のことを考えよう。もっと、こう、何とも無いような……)
 心の中で呟くと、今度は終業のホームルーム時に印象に残った人物のことを考えた。
 彼は昔から、よく舞と同じクラスになる。
 小中高と一緒だった。しかし、親しくした事はこれまでに一度だって無い。
 立場が違いすぎる、と言ってしまえば悲しいが、相手がそう思っている事だけは確かだろう。
 なぜなら、小学校時代に良いと言われる成績を取りすぎて、離れていった友人たち。彼らが自分に放った何か異質なものを見るような、当惑した瞳。
 彼も同じ瞳で自分を見ている。そして、自分もその事に慣れてしまった。
 だから今まで一緒のクラスでも、舞は彼にどう接して良いかわからない。
 しかし舞は彼の事を結構、好ましく思っている。
 気が付けば彼を目で追っている―――というわけでもないが、自分にとって気楽に接しうる相手である事は確かかもしれない。
 彼の行動を見ていると、不思議と気楽になれる。
 今日のホームルームでもそうだった。彼を見ると、なぜかプレッシャーが自然に抜ける。
 だから周囲の人間が自分の事をどう思おうとも、それで結構救われる。そんな事が幾度かあった。
 彼と友人とが繰り広げるバカ話。ふとした仕草。
 それらがすごくほほえましく思える。だから、今日も彼と目が会った瞬間、ちょっとくすりと笑ってしまった。
 上浦和良。それが彼の名。
 異性としてどうかと言われると少し首を傾げてしまうが、それでも舞にとっては一方的な感覚としてだが、身近に思える人物だ。
「うん、ちょっと気が楽になった」
 自分一人で納得したように頷くと、帰宅のために歩みを校門の方に向ける。
 とはいえ、先ほど彼女が出た校舎から校門までは、距離的に多少の開きがある。
 普合学園は高校入試における全国私学偏差値の全体的レベルとしては三流から四流の部類に入るが、設備等が非常に充実しているために結構な人気校だ。
 無理せずに入学でき、その割に設備が整っているため、その分勢いとして、在籍人数も多い。校舎も人数と設備の分、結構な数がある。
 学園都市と言うほどではないが、普合学園の在するT県・光影市の経済の三分の一は、この学園にまつわる経済活動でまかなわれていると言うから、その影響のものすごさもうかがえるだろう。
 舞はそうした学園の中でトップ成績を維持している。三流四流の中の一番と侮るなかれ、前述の通り充実した設備で結構な人気校である普合学園には、それに惹かれた故にあえてやってくる受験の猛者も数多い。
 本人は名を知られる事を嫌うために全国模試などには顔を出さない。しかし舞は、ある意味で全国区でも知られる「隠れた伏兵」だ。
 なぜなら全国模試に出てトップクラスを取る他の普合学園生が彼女の預かり知らぬところで「光咲舞には適わない」と口を揃えて言う事は、この業界の常識である。
 このウワサの真偽を確かめるために、てぐすね引いてこまねいている受験生が果たして何百人いる事か。
 されど件の少女は、傍目にはそんな素振りを見せもせず、今も校門のある第一校舎の方向へと向かう。
 やがて見え出してくる、時計台を持つ洋館風の五階建て建造物。
 普合学園設立の地・第一校舎。学園の殆どの維持管理業務・事務と学園に在籍する全ての教員教授の連絡機構が集約している、総合職員塔。
 学園に在籍する者ならば絶対に無視は出来ない、学園正門を兼ねた普合学園のシンボルであり、舞の目指す生徒用の第一通用門もこの校舎の脇にある。
 舞は近づいてくる第一校舎を何の気なしに見上げた。
「………?」
 時計塔の上にシルエットが見えたような気がした。
 だが、すぐに思い直す。そんなはずはない。時計塔に至る階段は立ち入り禁止。生徒は入れないし業者も整備のときにしか来ない。
(今日は業者整備の日じゃないもんね)
 時計塔整備では落下物などの危険を伴うために、全ての学園在籍者に整備日時が通達される。緊急の場合でも、必ずホームルーム時や校内放送で通達される。
 それが無いと言う事は、つまり整備は無いという事だ。
 気のせいだ。そう思おうとして舞はもう一度、時計塔を見上げる。
 そして舞の瞳は。捉えてしまった。
 時計塔の上に立つ小柄な少女の姿を。
 気のせいだと思いたかった。しかし気のせいではなかった。
 いや、そもそも、どうして自分は彼女の姿が見えたものを、気のせいだと思いたかったのか?
 自分の常識から外れているから―――では、ない。絶対に。
 常識外のことなど、今の世の中いつだって起きる。
 価値観が多様になった現代、常識などどれほどの保証になるのだろう?
 常識はずれだから、ではない。自分が彼女の存在を気のせいだと思いたかったのは。
 他ならぬ自分が。光咲舞が彼女の存在を気のせいだと思いたかったのは―――!
 唐突に蘇る。危険な予感が。恐怖の感情が。畏怖の記憶が。連帯の意識が。安らぎの感覚が。
 それは舞が夢の中で味わった全ての感覚だった。
 本能が叫ぶ。記憶の奥の更なる、舞自身が無意識のうちに感じている何かが叫ぶ。
 跪いてしまえと。それは自然な事であり、正しい事なのだと。あの少女の前に跪き、全てを思い出せと舞の心が激しく叫ぶ。
 舞は思わず両手で頭を抑えた。それは自らの心に、本能に即した行動ではない。
 それは舞の奥にいる何か。自らを「光咲舞」にしている何か。本能に逆らおうとする何か。
 舞は本能の声よりも、それに逆らおうとする自らを自らにしているそれにすがった。
 ここで本能の放つ心の呼び声に従えば、絶対に戻れなくなる―――!
 時計塔の上にいる少女は、そんな舞を見下ろすと、少しだけ首を傾げる。
 少女の視線を身に受けながら、舞はギッとその視線を射返すように、時計塔を睨む。
 時計塔の少女は驚いて悲しそうに表情を歪めた。舞の表情が拒絶を表していたことに、少なからずショックを受けたように。
 少女は気を取り直すように顔を上げると、時計塔から飛び降りる。相当な高さをためらう事無く。
 そして五階建て以上の高さをどこも傷つく事無く、少女は優雅に舞の前へと降り立つ。
 小柄な体から見るに年齢は中学二年程だろうか。舞もたいがい童顔の部類に入るが、少女の容姿は舞以上に幼さを残している。
 着ている服はまるで外国の神話に出て来る女神のよう。カーテンを巻きつけたような無地のドレスに所々レースの装飾。
 しかし、スカートは動きやすいミニ。そしてスパッツ姿。
 普通なら異様に見えるだろう。だが少女のかもし出す雰囲気が、その姿を神聖なものに見せていた。
「う……」
 思わず後ずさる舞。その分、近づこうとする少女。
 少女は不思議そうに舞に言う。
「どうしたの? ほら、ボクだよ。解るでしょ?」
 言われて一瞬、絶句する舞。解る。解っているのだ。それは解る。だが、解る事を認めるわけには―――!
 だから舞は全てを振り落とすように叫ぶ。
「何のコト? あなたとは初対面よ! 解るわけがないでしょう!」
「そんな、ヒドいよ。ボクたち、あれだけ仲が良かったじゃない。ボクらだけじゃない、他のみんなも待ってるんだよ?」
 少女の悲しそうな言葉。舞はそれを否定するようにいやいやと首を横に振る。必死に「知らない」と言い放つ。
「ねぇ、ヴァーサ。ボクだよ? フレーメだよ」
「知らないってば! あたしは『光咲舞』よ! そんなファンタジックな現実離れした名前じゃないわ! 何かのゲームのメンバーを探してるのなら、他を当たって! あたしは……そうよ、勉強しなきゃいけないの! じきに学園内模試と実力テストがあるんだから! 子どもの遊びに付き合うほど、暇じゃないのよっ!」
 光咲舞である事実にすがるために叫ぶ。事実、フレーメと名乗る少女の言うヴァーサなどという名前など、知らない。
 フレーメは首を傾げるが、すぐに得心がいったように左掌を右拳で叩く。
「そっか。まだ前世が目覚めてないんだね。でも……こうして会っている以上、うずいてるでしょ? 前世の記憶がさ」
「うぐっ……」
 言葉を詰まらせる舞。否定しなきゃと思った。だが、否定が出来ない。
 事実うずいている記憶の奥の更なる記憶。これが前世の記憶だと解るから。
 だが、これを開放するわけにはいかない。
 前世の記憶。これを自らの中に放てば、光咲舞の生はこの記憶の中に呑まれる。
 その瞬間に『光咲舞』は死に、前世の記憶の持ち主が舞の体を使って自らの生の続きを演じる。
 舞にとっては許容できない事だ。自分が自分でなくなる。それだけは許容できない!
(否定しなきゃ……しなきゃ……どうしてできないのっ!)
 舞の表情が悔しさに歪む。フレーメは呆れるように言う。
「ねぇ、ヴァーサ。何を嫌がってんの?」
 それでも舞は必死に拒絶の視線をフレーメに送る。
 フレーメは優しく、そして諭すように舞に語りかけ出した。
「ボクらが前世より復活するってコトは、時が来たってコトなんだよ? もうじき闇が復活し、世界を食い尽くす。闇の意思が破滅を呼ぼうとしてる。そのためにボクらはこの世界を護らなきゃいけない。ボクらはそのための戦士じゃないか。闇を退け、光の世界を創り上げる。この世界に『永遠の国(エターナルミナ)』たる『シャイニング・オーバル』を復活させなきゃならないんだよ? 感じているでしょ? この世界の闇を。自分を否定している世界を。この闇の濃くなりつつある世界で、キミのトモダチはいないでしょ? みんな闇に支配されつつあるんだよ。だから、みんなキミを拒絶してるんだよ」
 その言葉は舞にとって否定できない力と事実にあふれていた。
 フレーメの言葉と同時に蘇る記憶。
 良い点を取れば取るほど離れていく友達。みんなと溶け込めない自分。
 いつも一人で孤独な自分。優れた力が、輝いている光があるから、闇に呑まれている皆は自分を仲間にしてくれない。
 否定は出来なかった。それを見透かすようにフレーメは畳みかける。
「だから光の力で闇を滅して浄化しなきゃ。人々を闇から解放するんだ。そのために、仲間はみんな復活してる。あとはキミだけだよ? ねぇ……姫様も、マーナ様も待ってるよ? ボクたちはマーナ様を護らなきゃいけないんだよ?」
 仲間がいるよ、友達がいるよ、キミが生きる理由があるよ―――。
 それは、なんと魅力的な言葉だろう。
 舞の心が大きく揺さぶられる。仲間の。仲間の光の元へ―――。
「ねぇ、ヴァーサ……おいで? 使命を果たそうよ、前世の記憶の下に」
 仲間の元へ。前世を思い出して。
 優しく、そして必死なフレーメの言葉。
 舞は抵抗する気力を失い、足をふらりとフレーメの方へ踏み出そうとした。
 その時。
「光咲さん?」
 名前を呼ばれて―――舞は我に返る。
 呼ばれた方向を向く。そこにはクラスメートの少年が一人。
「か、み……上浦くん……?」
 舞を呼んだのは和良だった。和良は心配そうな顔で舞を見て言う。
「ごめん。なんか、顔色悪かったから、心配で思わず声かけたんだけど……迷惑だったかな?」
 言われた舞の心の中に、何かが蘇る。それは前世の記憶ではない。
 だが、舞にとっては最も大事な何かだった。だから舞はいまだ復活しきれていない気力の中で静かに呆然と尋ねた。
「心配……してくれたの? あたしを? どうして?」
 言われて和良は面食らう。どうしてと言われても……。本当に反射的な行動だったのだ。
 落し物を届けにここまで来たら、なんか騒がしい。気になって覗いて見たら、今にも倒れそうな舞がいる。
 多少なりとも憧れ、好意を持っている少女が色を失って倒れそうになってたら、慌てるだろう。思わず声もかけたくならないか?
 そう言いたかったが、さすがにソレは無理だった。だから、どうしてと尋ねられて和良は照れ隠しに笑い、答えた。
「だって、クラスメートじゃないか。友達だろ?」
「―――――――――!」
 両手で口を抑える舞。和良の言葉のなんと暖かい事か。
 その場しのぎなのかもしれない。でも、今の舞にはそれで十分だった。
 冷え切った心に温度が宿る。失っていた舞が舞であるための心の力が鮮やかに蘇る!
 涙が出た。舞の瞳から涙が零れた。自分は一人じゃなかったと、心の底から思えた。
 しかし事情がわからない和良は慌てる。
「んな! ど、どーしたの? どっか痛いの? ケガでもしたの?」
 思わず舞を気遣う。それがまた舞には嬉しく、そして彼女が『光咲舞』として生きる理由を与える。
「大丈夫、上浦くん。何でもないの。大丈夫」
 流れた涙を自分の出したハンカチでぬぐう舞。
 その一連の出来事を、呆然と見つめるフレーメ。
「嘘……前世の記憶が……光の使命が、タダの人間の言葉で凌駕された……? なんで?」
 どこかのアニメキャラならば「ありえない!」とでも叫ぶのだろうか。フレーメの浮かべたのは、そんな表情だった。
 次の瞬間、フレーメは和良を睨み、叫ぶ。
「前世の使命も持たないタダの人間が、ボクらの間に割り込むなっ!」
 殺気混じりの言葉。それに気付いた舞は、和良を背中にかばって叫ぶ。
「! やめて! フレーメ!」
「目を覚まさせてあげる、ヴァーサ!」
 フレーメは叫ぶと同時に両手を開いて頭上に掲げる。
 掲げた両手の間にはバスケットボール大の光球が生まれ、それは即座に炎に包まれる。
「な……!」
 この状況に驚き絶句する和良。舞は焦燥気味に叫ぶ。
「彼を攻撃すれば、あたしも巻き込むわよ! 本末転倒じゃないの!?」
 叫ぶが、これが説得にもならない事は、舞にはよく解っていた。
「何言ってるんだ! ボクの炎は光の真火! 光の力で光の存在であるキミは絶対に傷つかない! そこの愚か者が燃え尽きるだけだよ!」
 二人の叫びを聞きながら和良。
(こんな展開アリか? まるで何かのアニメかゲームかライトノベルみたいじゃないか!)
 思うはいいが、それを叫ぶ暇は無かった。
「ヴァーサ! キミに必要なのはボクら前世の仲間だ!」
 フレーメはエコーがかった「力ある言葉」と共に掲げた両手を胸の前へと持って行き、ソレを放つ。
『フレア・ドライブ!』
 まるでバスケットボールのパスのように―――とはいえ、そのスピードと威力はそんな可愛いものではなく―――炎の球は二人に迫る。
 息を呑み、表情を引きつらせる舞。
(前世の記憶と力に目覚めなければ、防げない!)
 解る。解るが出来ない。目覚めれば、そのまま宿命に呑み込まれ、自分の意識はこの世から消え去る。
 でも、このままでは和良を巻き込んでしまう。
(上浦くん……!)
 舞が悲壮な決意を固めようとした、その時。
 和良が舞の手を引き、彼女をかばうように炎の球を背にして抱きしめる。
「な……駄目! 上浦くん! あたしは大丈夫だから、あなただけで逃げて!」
「できないよ! そんなコト、絶対に!」
 叫ぶ和良。舞を抱く力が強くなる。
「俺は……」
 言おうとする。でも、言えない。死を間近にした、この期に及んで。
 意気地なしだと自分でも思う。でも、このまま死ぬなら、ある意味で意味の無い言葉だ。
 だから。だから、言葉で言う代わりに。せめて庇おう。この命で。
「君を、見捨てられない」
 和良の言葉を聞き。和良に痛いほど抱きしめられて。
 舞はこれまで躊躇していた事を決意する。
 自分は死ぬ。でも、せめてこの場で少しでも、彼の生を延ばせるならば。
 それはそれで悪くないと思った。
 初めて自分を小さな孤独から救ってくれた人のために死ねるなら、それも悪くないかと。
 和良の腕の中で、舞は小さく呟く。
「ごめん、巻き込んで……。ありがと……」
 そして舞は前世の意識の開放を決意―――。
『駄目よ!』
 舞が意識を前世に移そうとする寸前、声が飛んだ。また、聞き覚えのある声だった。
 和良も知っている。この声の主を。
 二人して叫んでいた。
『岩代先生!?』
 そう。声の主は二人の担任。物理担当・2年D組担任教師・岩代真奈美!
『光咲さん! 自分が自分である事を放棄しては駄目! 前世を肯定しちゃ駄目! ソレは上浦くんの示してくれた道を否定する事よ!』
 真奈美の声に呆然とする二人。舞は思わず叫ぶ。
「でも、先せ……いや、どうして先生があたしの事を、あたしに前世があるなんて普通は世迷言にしか聞こえない事を、確信をもって肯定してるんですか!?」
『ふっ、愚問ね! あたしはあなたたちの担任よ! 担任教師は生徒の事を何だって知ってるものよ!』
 まるでそれが真理だと言わんばかりの自信に満ちた言葉。されど科学者にあるまじき非理論性。説得力が無さ過ぎる。
「ンなワケないでしょーっ!」
 当然ツッ込む舞。真奈美の声が『チッ』と舌打ちする。
「それに、この状況で他にどんなテがあるっていうんですか!?」
 さらに言い募る舞に、真奈美は異常なまでに落ち着き払って言う。
『のーぷろぶれむ! 上浦くん!』
 いきなり呼びかけられて、和良は驚く。
「な、何ですか、先生!」
『着けなさい!「φ-GRID」を! 持っているでしょう?』
 ワケの解らない指示。
「こんな時に、何を呑気な!」
 当然の如く苦情を叫ぶ和良。そしてポケットの『φ-GRID』から声が飛ぶ。今までの真奈美の声は、全てここから聞こえていたのだ。
『いいから! 死にたくなければ、光咲さんを死なせたくなければ着けなさい! それは―――』
 真奈美は力の限りに断言する。
『あなたのための「φ-GRID」よ!』
「な……」
 問答無用の担任に絶句の和良。とにかく言われた通りにポケットから『φ-GRID』を取り出す。
 するとそれは水色の燐光を放っていた。
「これは……光……?」
 呟く和良。しかし舞はそれを一目見て呟く。怖れと共に。
「ち、違うわ。似てるけど、コレは光じゃない!」
 そして和良を見上げて。
「駄目! これは、これだけは! これを使ったら最後、あなたは光に滅ぼされる!」
『選択の余地は無いわ! 生きたければ、使いなさい! 未来を掴みたければ、コレしか方法は無いのよ!』
 舞の言葉。重なる真奈美の言葉。
『それに……たぶん、もう遅いわ』
「え?」
 思わず間の抜けた声を出す和良。
「あ……!」
 驚愕の舞。そして。
 二人の目の前で、フレーメの放った炎の球は静かに自壊していく。
 舞と和良に近づいた瞬間、炎の球は「φ-GRID」の放つ燐光に当てられ、その端から力を失い崩れていく。
 炎が収まり、力が黒ずんでいく。そして、炎の球は完全に虚無と化した。
「な……!」
 フレーメも驚愕していた。突き出した両手が震えている。
「なんてこと……これは、闇の…力!」
 目を見開き。体全体を震わせ。息を呑み。
 そして和良を睨みつけ、人差し指を突きつけて叫ぶ。
「闇の者め――――っ!」
 言われた和良はキョトンとして呆然と呟く。
「闇の……者?」
「なんでヴァーサが目覚めを拒んだか解った! お前のせいだな! お前の闇の力がヴァーサを汚染したんだ! 許さない! 許さないぞ!」
 怒りのフレーメ。舞は驚き叫ぶ。
「フレーメ! それは誤解よ! 目覚めの拒みはあたし個人の意志! 彼は……!」
「うるさい! 闇は滅ぼす! それが光の使命だ! お前が闇の者とわかった以上、今度は手加減しないぞ!」
 怒り心頭のフレーメはそのまま両手を手首でクロスさせ、手の甲を和良たちのほうに向けながら叫ぶ。
『炎の朱、命の光! 我が命に従い、その輝きを燃やせ!』
 真の力ある言葉―――それが大気を揺らし、空間を燃やす。
 周囲が一気に熱くなり、フレーメの全ての指先に強烈な炎が宿る。
 炎は温度を上げ、赤くなり、青くなり、不可視となり、ついには光の球へと変わる!
『フレア・テンス・ブラスター!』
 光球を放つフレーメ。10のそれは複雑な軌跡を描いて和良に襲いかかる。
「! 先生!」
『早く!』
 驚く和良と急かす真奈美。
 和良は―――困った顔で舞を見る。舞も同じような顔をしていた。
 いや、悩みは舞の方が深いのかもしれない。そんな気がした。
「光咲さん……」
 静かに言う。舞に向かって。
「光咲さんが決めてよ。俺は、それに従う」
 この言葉に。舞はじっと和良を見る。そして言った。
「ずるいわ、上浦くん……そんな顔で、そんなコト、言わないで。そんな風にされたら、あたしが言う事は一つしかなくなっちゃう」
「……何?」
 優しく問いかける和良。舞は涙の流れる瞳で、にこやかに答えた。
「生きたい……みんなと一緒に。この世界で。だから生きて……上浦くん」
 この言葉に。和良は力強く頷く。
 そして和良は。自らの意志で、その左手に『φ-GRID』を装着した。
 自らの、戦う、そのための、力を。
 瞬間、光球の一つが和良の左腕に直撃する。上がる爆炎。
「上浦くん!」
 悲痛に叫ぶ舞。炎が消え去り―――しかし、和良は生きていた。
 光球が当たったはずの場所には、いつの間にか白いメタリックな、篭手があった。水色のラインが腕の甲側に一本、縦に入った篭手が。下碗と手の甲を覆う篭手が。手首からほんの少し体側の外腕部に水晶のような半球体を持つ意匠の篭手が。
 和良には解る。これは『φ-GRID』が変化したものだ。
 真奈美の言葉が飛ぶ。
『それが「φ-GRID」の能力の一つ! 装着者防衛のための自動簡易武装! さらに換着して完全武装よ! 両腕を左手首で正十字型にクロスして頭上に掲げ、右側に下ろしながら叫びなさい!「チェンジング・クロッスィズ」と!』
 熱っぽい言葉だったが、和良は逆に毒気を抜かれ、シラケながら問う。
「あのー、ソレはいわゆる某戦隊みたいなヒーローモノやバトル魔女っ子モノで言う、あのノリですか?」
 言われて真奈美。言葉に詰まりながら。
『う……確かに、ちょっと大人気なかったわね。でも、ノッた方が恥ずかしさも吹っ飛ぶでしょ? 最近の子って、みんなそういうのが好きじゃないの?』
「そりゃ、嫌いじゃないですが、いいトシこいてそんな」
『ごちゃごちゃ言わない! 特撮ヒーローの役者さんたちは二十歳を超えてもソレをやってんのよ! それに、さっき言った特定の動作と音声入力のコマンドワードが、専用バトルスーツの開放装着用キーパターンになってるの! やりなさい、早く!』
 照れ隠しに怒鳴る真奈美。そして残る光球がなおも和良に迫っていく。
「くっ!」
 漫才しようがどうしようが、状況は変わらない。
 和良は真奈美に言われた通りの行動を取る。手首を左側で正十字にクロスさせ―――。
「チェィンジング―――」
 言葉と共に両腕を頭上に掲げ、そのまま両腕の縦と横を換える形で右側にクロスを下ろし―――。
「―――クロッスィズ!」
 叫びと同時に篭手が暗い色の輝きを放つ。暗くありながらなおまばゆい輝きを。
 輝きは篭手の輪郭すらもぼやかす。もはや光の粒子の塊となった篭手は、そのまま周囲の空間を侵食するかのごとくに自らの輝きを増していく。
 増す輝きは左手だけでなく右手をも包み―――そして、ゆっくりと自らの放つまばゆさを抑えていく。
 輝きが収まったとき、和良の右手にも同様の篭手が装着されていた。そして再び真奈美の指示。
『今よ! 両腕を大きく、大地に対して水平に、円を描くように薙ぎなさい!』
 篭手のはまった両手を大きく、ぶん! と地に平行な面をもつ円を描くが如く、横に薙ぐ。
 薙いだ篭手がさらに近付く光球を数個破裂させた。もちろん和良は無傷。
 それどころか、和良が薙いだ手の先から同様の輝きがほとばしり、まるで変身時に身を護るための結界の如く、彼自身の周囲を半球状に包んでいく。
「こ、これは……」
 呆然と呟く舞。彼女の体は和良の描いた半球の中にある。
 もしかしたら―――舞自身、気付いていたのかもしれない。今は完全に思い出した今朝の夢の中で。自分が求めていた者が、誰であるのか。何であるのかを。
 そんな舞の心中などお構いなしで、さらに迫るいくつかの光球。気付いて身構える舞だが、それらは全て半球の壁に阻まれ、四散する。
 その間にも和良の姿は真奈美の指示と共に変化していく。
『今度は姿勢を低くして腕を垂直に回すのよ。頭上から両腕を左右それぞれの足、ひざから下の外側に持っていくように!』
 言葉の通りに両腕を回しながら、スクワットのように両膝を曲げて姿勢を低くし、指示の通りに体を動かす。
 すると両腕がそれぞれの足の外側を通過した瞬間に篭手が細胞分裂をするかのごとく分かれる。
 分かれた篭手は半透明状態で膝から下に重なり、その部分を覆うレッグアーマーへと変化していく。
 両腕両足。それぞれの下腕下肢に防具が取り付けられ、今度はそれらの体側の端からゆっくりと輝きが漏れ、低い姿勢から立ち上がりつつある和良の体全体を包んでいく。
 上肢上腕、胴体肢体。それはまるで着ている服そのものが輝きに包まれていくようだった。
 変身ものアニメでよくあるような透過光や衣服分解状態の裸体シルエットではなく『着たままの状態での着衣の変質』といったところだろうか。
 そして、和良の衣服の全てが輝きに包まれたと思った瞬間、それが一気に弾けた。
 大地に立つ和良。ところが、このような派手な変身の如き様相を呈しながら、彼の姿は『φ-GRID』を稼動させる以前とそう変わらない。
 そう。今、和良が着ている衣服は、学校の制服とそう変わる事の無い紺色のブレザー服だった。
 変わっているのは学年を示す赤色の一重ラインがどの学園のものでもない金色刺繍の二重ラインになっている事。
 そして、胸ポケットのエンブレム。学園のシンボルである『白と黒の三角を組み合わせた六芒星に陰陽太極図』がアップリケされているのが制服のデフォルト。
 ところが今、和良が身にまとっているブレザーのエンブレムは円形のメビウスの輪を貫く、翼を柄に持つ剣のデザイン。
 無限を断ち切る剣。それはまるでギリシャ記号のφを表すかのような意匠だった。
 その程度の案外な変化のなさに和良は、両手を始めとする体全体を見回す。他にどこか変化が無いかを探すように。
 だが彼にはまだそんな余裕は与えられないようだ。さらに真奈美の指示が飛ぶ。
『左手を拳にして右肩に! 右手の小指と薬指を曲げ、あとの指を伸ばした状態で前に突き出して!』
「まだやるんですか!?」
 いいかげん、うんざりの和良。だが、真奈美は叫ぶ。
『やらないと変身中の余剰エネルギーが体内で暴走して、体がバラバラになるわよ! 特定の動作でバックファイアーを起こして、余計なパワーを対外へ逃がさないと!』
 この言葉に和良は表情を引きつらせて。
「わ、解りました!」
 さらに指示通り、左手を右肩に、右手を前に。
『右手の状態を崩す事なく、その甲を左頬に! 同時に左腕の拳を、力を溜めるように腰の左横へ!』
 甲を左頬に。左腕を腰の左横に。
『叫んで!「ファイブレザー!」と。叫びながら、右手を袈裟切り気味に右下へと振り下ろす!』
 振り下ろしながら、和良は叫んだ。
「ファイブレザー!」
 次の瞬間―――背後にグゴゥン! という、大きな水色の爆発。和良と舞を包んでいた結界が、儚く割れ崩れていく薄氷のように解除される。
 そして残っていた光球は、この和良が起こした換着時のバックファイアーに巻き込まれ、全て誘爆を起こし弾け飛び、消え去った。
『光の陣営にとって、脅威となりうる闇の力の要素騎士(エレメンタラー)「ファイブレザー」のうちの一人! 水騎士、ファイアクア……誕生よ!』
 爆発に対して呼応するように叫ばれる真奈美の声。
 それはあたかも、和良の目の前にいるフレーメという少女に。そしてそのバックに控える「光」とやらに和良=ファイアクアの存在を思い知らせるかのように。
 大きく強く、何者にも屈さぬ意志を貫く宣言の如く、高らかにこの場に鳴り響いた。
 

To Be Continued...   


< プロローグ | φ1 換着 〜Change Clothes〜 | φ2 キミの騎士 >

このページの先頭へ / Aパート / Bパート 

『ファイブレザー』トップページへ


感想はMail Box


© Aika Yamato / Kaleidoscope